「競争主義の終焉にむけて」

粉川哲夫/アート・オン・ザ・ネット展ゲスト・ディレクター

 

 賞というものを維持しながら、「競争」という原理を排除するのは、矛盾で あろうか? 現代のスポーツは、熾烈な競争を要求する。そこには、スポー ツと遊びとのあいだにかつてあった親密さは見出せない。しかし、集団の遊 びのなかで主役を演じるということは、スポーツの勝利者になるのとはちが う。遊びの「勝利者」は、つかのまそういう「主役」を演じるだけだ。その 主役は、その遊びのなかですぐに別の主役にすりかわる。ここでは、主役の 地位を獲得することが重要なのではなく、一つのパートを引き受け、それを 次に回して行く参加行為(パーティシペイション)の過程が重要なのだ。

 かつてイヴァン・イリイチは、「コンヴィヴィアリティ」という言葉を使っ て、独占や効率や競争に毒された近代社会をこえる道を示唆しようとした。 イリイチは言う、「近代のテクノロジーが、管理者によりも、政治的に相互 に結びついた諸個人に使えるような社会を、わたしは、”コンヴィヴィアル な”社会と呼ぼう」、と。そのとき、近代のテクノロジーは、「産業 主義的な生産性」のための道具ではなくて、「コンヴィヴィアリティのため の道具」となる。「コンヴィヴィアルな道具とは、それを使う各人の環境を ゆたかにする最大の機会をあたえ、彼または彼女のヴィジョンの果実をもた らすような道具である」。

 スティーヴン・レヴィによると、「コミュニティ・メモリー 」の創始者の一人であるリー・フェルゼンシュティンは、 イリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』(1973)によって、 自分たちの新たな試みの正しさを確証したという。「コミュニティ・メモリ ー」は、それまで産業目的で使うことしか考えられてこなかったコンピュー タを、個々人が自由に使い、新しいコミュニッケーション関係とアート表現 のための道具にする最初の試みだった。

 アート・オン・ザ・ネット 2002のテーマに「9・11」を選んだのは 、「9・11」が競争主義の極端な帰結の一つだと考えたからであり、それ をテーマとしながら競争主義をのりこえる遊びの場を提供するためだった。 しかし、その遊びの場が、「フォーラム」一つだけであったことは、企画し たわたしたちの余力のなさのためである。チャット、IRC、ライブ・ストリ ーミングなどを用いた「遊び場」も構想されたが、「美術館」の制約にはば まれ、実現にはいたらなかった。

 イリイチは、前掲書の20年後に出された『テキストのぶどう畑で』(1973)のなかで、近代化や産業化の基礎 にあるリテラシー(識字)が、印刷術の発明の以前にさかのぼることを指摘 している。手書きで作られた「本の形をしたテキスト」が登 場したとき、すでに識字の方向が決まったのである。印刷術は、そうした新 しい技術と道具をより組織化し、そうした方向を決定的なものにしたにすぎ ないのである。が、そうだとすれば、リテラシーの抑圧的な側面をのりこえ るためには、「本の形をしたテキスト」を誕生させた手の技術と手という道 具の本質をもう一度検討しなおす必要があるだろう。イリイチは、リテラシ ーを単純に拒否するのではなく、近代化や産業化(つまりはグローバリズム の根底にあるもの)を推し進めたその機能とは異なる機能、つまり批判の力 や歴史を洞察する知を発揮させるにはどうすればよういかを考えようとする 。

 インターネットの諸「道具」は、いま、「コミュニティ・メモリー」がはた したコンヴィヴィアルな機能からはるかに遠ざかり、極めて近代主義的なメ ディアの諸道具に近づいている。ラジオはすでにストリーミングのネットラ ジオに回収されつつあるが、そのネットラジオは、ラジオをこえるのではな くて、既存のラジオを完成さようとしているにすぎない。テレビがそうなる のも時間の問題だろう。その結果、インターネットは、当初にちらりと見え たある新しいコミュニケーションの道具としての側面を忘れ、近代のメディ アの単なる完成形態になって行く。

 アートは、エレクトロニックな技術を使うにせよ、つねに手や手技の領域に ひきもどされる。コンピュータ・テクノロジーは、いま、ますます、身体領 域をデータ化し、そこからどんどん遠ざかろうとしている。それは、いずれ 身体をヴァーチャルなもので置き換えるのだろう。しかし、 アート・オン・ザ・ネットは、それがアートであるかぎり、手や身体との関 係を清算することはできない。

 身体的な側面を忘れ去らせるのではないネット・アートとは何か? インタ ーネットにつながることが、フィジカルな距離を増大させるのではなくて、 逆に距離を近づけるようなインターネットの使い方とは?  「ラディカル」 な歴史学者イヴァン・イリイチは、リテラシーの両義性を12世紀の手書き 本(bookish text) の本質のなかに見ようとした。わたしたちが、インター ネットのもう一つの可能性を開こうとするならば、インターネット以前の、 電話や無線通信のネットワークあたりから考えなおす必要があるのかもしれ ない。イヴァン・イリイチは、最近ブレーメンで逝去したが、テクノロジー についての彼の諸洞察は、依然として、示唆に富んでいる。かつてわたした ちのミニFM局に来て長時間話をしてくれた彼を追悼しながら、アート・オ ン・ザ・ネット2002とその今後を考えてみた。

 

 

 

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